派遣・女性・自己責任
● 派遣でなければならないが、派遣であってはならない
10月7日の「クローズアップ現代」で、失業した後に助けを求めずに亡くなったり、路上生活になる30代の方々について取り上げてました。私がこの番組を見て非常に気になったのは、彼らがそのような状況の中にありながら「自己責任」をずっと感じ続けつつ、身動きが取れない状態になっていることでした。何故なのだろうかと。
日本は戦後ずっと、国内の人間は解雇が稀な正社員かその扶養、そのどちらかに属する、というのを暗黙の前提としてきました。もちろん母子家庭などでそこに属せない人たちは存在したわけですが、それはあくまでも例外であり、基本的に本人の意志があるならば上記のどちらかに属せる、とされてたわけです。しかし、クローズアップ現代で取材された30代のような非正規雇用の方々はこのどちらにも属してない人たちであり、例外と言うには現在余りにも数が多くなってます。
私は、彼らが「自己責任」を抱えながらうずくまってしまった理由は、彼らがこの雇用の建前上で行動することを要求される一方で、現実にはそこから外れざるを得ないところにあるのではないか、と考えてます。彼らは健康上の問題があるわけではなく、年齢も若い。そうなると上記の雇用に関する暗黙の前提からすれば「意志があるならば正社員になれる」ということになります。しかし、現実にはなれない。現在製造業派遣を中心として規制が行われようとしてますが、企業サイドは彼らを社員にする余裕は無い、と主張しています。
一方で派遣というポジションは賃金も上がらず、今のような不況の中では生活ができないケースが多くなってます。ところが、生活ができないならば「正社員になれば?」と言われる。バブル期のフリーターイメージなどが尾を引いているのかも知れませんが、非正規雇用になったのは、自分がそれを選択したらだ、という見方はかなり強いと思います。また、上記の路上生活に至ってしまった30代の方なども、同じように自分自身を見ているからこそ、助けを求めずにいるのではないか。
正社員の椅子は限られているのでなれない→正社員になれないと生活はできない→正社員になれなかったのはそう選択したから、つまり「自己責任」である。この二重拘束とも言える状況の中では、身動きが取れなくなってしまう人たちが出てきても全く不思議ではありません。
● 女性でなければならないが、女性であってはならない
同じことは今日の女性のあり方にも言えるのではないでしょうか。女性は出産や育児(こちらは本来男性も同じと考えるべきですが)のために正社員と同様には働くことが難しい。そうなると途端に「じゃあ主婦でパートでもやればいいだろ」と言われる。しかし主婦はそれ自体で収入がありませんから誰かに扶養されることになる。
ここでも、一般正社員イメージに合わせることはできない→正社員の扶養となる→扶養になったのは自分が選択したからだ、しかも働かずに食っていけてありがたいと思え、となる。逆に女性が普通の正社員と同等に働くならば、出産育児を断念しなければならないケースが大半だと思います。
よく専業主婦vs働く女性という形で対立的に見られたりしますが、これは上記の二重拘束を考えるとなぜそうなるのか分かります。専業主婦は「養われてる」と言われますし、働く女性は「働くのも育児も中途半端」、「子供より仕事?女性としておかしいんじゃないか?」などと言われる。どちらも既存の雇用体系の中で引き裂かれ、失われた片方の可能性を否定せざるを得ないのです。
● 新しい労働者モデルを
こういった禅問答的問題を突破するには、その問題が成立する土台を見なければなりません。ここでの土台とは、「日本人は正社員かその扶養に属する」という今となっては現実を反映してない建前であり、正社員こそは労働者の基本イメージであり、保護の対象である、という考えです。この建前に立てば、現在失職している派遣労働者たち、働く女性などは視野から外れて「いないこと」なってしまいます。つまり、まともな人間として扱われない。しかし、同じ人間として扱われてないのに「自己責任」を問うのはおかしいでしょう。
やはり、現状を全く反映してない働く人のイメージである「正社員かその扶養」ではなく、派遣労働者や働く女性のようなあり方も含めた新しい労働者像をベースに、諸々の制度を組み替える時に来ていると思います。
先日、派遣村村長だった湯浅誠さんが政府の国家戦略室に参加することになりました。既存の「正社員とその扶養」の枠組みに今の貧困問題を吸収しようとするのか、新しい労働者像を打ち立て改革の第一歩を踏み出すのか、私はそこが注目点だと考えてます。